子育ての秘訣
この人に聞く 連載第七回
人生の先輩の考える子育てとは

Q.「三つ子の魂百まで」と、日本古来から言われています。それに対して、現代のお母さん方(お父さん方)と日頃から接しられて感じるところを教えて下さい。
「三つ子の魂百まで」というフレーズを辞書で引くと「幼い時の性質は、老人まで変わらない」と書いてあります。これはどのように解釈するのが正しいのでしょうね。
ネットで関連の記事を見ていたら、某有名な教育関係者がこんなことを云っているのに出くわしました。
「三歳までの教育は極めて大切であり、その教えは百歳までも影響することだ」
うーん、これはいささか乱暴。ことわざを利用して、早期教育の必要性をアピールしたいのか?と疑わざるを得ません。私は辞書にある「性質」に着目します。
幼児期に必要なのは、周りの人々に愛され、受け入れられているという安心感、自己肯定感を養うことです。
そうした環境で、基本的な能力(歩いたり、走ったり、話したり)を身につけ、生活全般に満ち足りて、自ら獲得していく力に全能感を感じるのが、本来の幼児の在り方の理想でしょう。
こうした成長過程が、彼らを明るい楽観的性質に導いていければ、将来に向けて大きく伸びていけるはず。延いては大人になっても人生を肯定的に生きていけると考えます。
昨今のお受験事情と云えば、生まれたばかりの赤ちゃんを持つお母さんが問い合わせの電話をあちこちの教室にかけたり、おしめもとれていない就園前の子どもに受験訓練(本当に必要なんでしょうか)を受けさせたりと、ことここに極まれり、の様相を呈しています。
「お受験」の訓練がなぜ危険なのでしょう。そもそも子どもには、そのような訓練を受ける意味が全く理解できません。お母さんに連れられて行って否応無く受ける。
そこで、こうしましょう、ああしましょう、そうしてはいけません、そうではありません、と正解の対応に向けてあれこれ指示される。
しかも指示を理解できなかった時に、お母さんから叱責でもされれば、子どもが萎縮するのは当然です。しかしその萎縮の原因も本人には更に理解不能・・・混乱の中で我慢を強いられていく訳です。
中には折角トイレットトレーニングに成功していたのに、また元に戻ってしまう子どもがいたり、表情が消えてしまう子が出てきたりします。
このもの言わぬSOSに気がつかないのか、無視していいと思うのか、訓練をすることで子どもの将来が保障されると考えるのは、本当に正しいことなのでしょうか。
むしろ「三つ子の悲観的魂が百まで続く」ことになってしまうのではないのでしょうか。
幼児と付き合うことは、お互いの間の信頼感が欠如していては出来ません。リレーションシップについて、子どもは大人よりずっと敏感です。
そして直裁ですから、仲良くなれない人とは関わらないのが本来です。それを、受験の為にといって、距離を置きながら関わることにどんな意味があるのか、私にははなはだ疑問です。
大人になった時の我が子に責任を取ろうと考えるなら、今の子どもの精神性を大切にすべきです。
「三つ子の魂百まで」を己に都合良く解釈する教育産業に、どうぞ絡めとられないで下さい。子どもの魂を守る為にも。(次回へつづく)
鼠(2010/11/20)
生年 |
昭和26年生まれ |
出身地 |
東京都 |
略歴 |
小学校から高校までを、お茶の水女子大学附属で学ぶ
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高崎利子氏(1) | ![]() |
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高崎利子氏(3) |